第6回 Madama butterfly
みなさん、こんにちは!
梅雨も明け、いきなり暑い日々がやってきましたね。
さらに今年の夏は、マスクを着用して過ごさなければならず、いつも以上に熱中症には気をつけなければなりませんね。。。
もちろん私も毎日欠かさずにマスクを着けて出勤しておりますが、そんな出勤時間にもハミングをしながら歩いたりしています。
ハミングなら、飛沫の心配もないですもんね!!!!!
そこで今日はハミングを使用した、合唱曲をご紹介していきたいと思います。
もちろんオペラの中の曲です。
これだけで、あのオペラか!と、察しがついた方は中々にオペラ通ですね♪
そう、今回ご紹介するオペラはタイトルにもあるようにイタリアの作曲家プッチーニが手掛けた『蝶々夫人』です。
このタイトルや作曲家の名前を知っている方もとても多いと思います。
まずは、プッチーニについてお話しします。
ジャコモ・プッチーニ(1858年12月22日 - 1924年11月29日)はイタリアを代表する作曲家の一人で『ラ・ボエーム』や『トスカ』など多くのオペラを生み出しました。もともと大聖堂オルガニストという一家に生まれ、彼は14歳で教会のオルガニストとなり、宗教音楽家としての道を歩もうとしていました。しかし18歳の時に観た『アイーダ』が大きな転機となり、その後ミラノ音楽院に入学しオペラ作曲家を決意します。(ここでもヴェルディの影響力が伺えます!)
今でもプッチーニの作品が世界中で上演されており、多くの人々を魅了し続けています。
しかし、『蝶々夫人』のスカラ座での初演は大失敗となり一日で上演を打ち切りされ、その3ヵ月後、多くの部分を書き換えたものを再演し、ようやく大好評を得たそうです。
メロディーメーカーであるプッチーニも失敗してしまう事があるのだなと、初めて知った時は驚きました!
プッチーニの音楽はいつもロマンチックで素敵なのですが、残念な事にあまりメゾソプラノが活躍しないのです・・・
残念・・・・!
それはさておき、『蝶々夫人』に関して簡単な解説をしていきましょう。
舞台は言わずと知れた日本・長崎。
没落してしまった家の娘で芸者となった蝶々さんは、アメリカ海軍士官ピンカートンと結婚します。
いっときは幸せだったものの、やがてピンカートンは母国アメリカに帰ってしまいます。
蝶々さんは彼がいない3年、産まれた息子と女中のスズキと共に丘の上の家に住み、彼を待ち続けていましたが、ピンカートンはアメリカで結婚した妻ケイトと共に日本に戻ってきました。蝶々さんは息子を引き取ると言われ、絶望の果てに死を選ぶという悲しい結末で幕となります。
蝶々さんはまだ15歳だったにも関わらず、結婚し子供を産み、ピンカートンを信じ待ち続けたのに、なんとも残酷な結末ですね。
また、非常に美しい音楽が、この物語の悲しさをより引き立てます。
このオペラは日本の音楽(「お江戸日本橋」、「さくらさくら」や「君が代」など)があらゆる場面で借用されており、日本の美しさがこの西洋の音楽に花を添えています。
また、『蝶々夫人』といえばこのアリアを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=1woH96ROG-c
とても美しい曲ですね♪
しかし、今日ご紹介するのはハミングコーラス。
では、本題に参りましょう。
言葉の通り、美しいメロディーをハミングで演奏する曲です。
ピンカートンがアメリカに戻ってしまってから3年。
蝶々さんはスズキと息子と共に彼の帰りを待っていました。
すると、ピンカートンの所属する船から兵員が来たという合図の大砲を打ち鳴らします。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家中を花で飾り彼が戻ってくる準備をします。ピンカートンの帰りを今か今かと待っているうちに夜が過ぎ、「ハミングコーラス」が演奏される中、スズキと息子は眠ってしまう中、蝶々さんだけは起きたままひたすら彼の帰りを待ちわびます。
今回は、オペラのシーンとしての動画が見当たらなかったので、コンサートでの演奏をお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=4rV0y4syKvQ
この先の話を知っていても知らなくても、思わず涙が流れそうなほどの美しい曲ですね。
しかし、これだけハミングで歌うというのもなかなか難しいです・・・
プッチーニは初め、宗教音楽家の道を歩もうとしていたこともあり、とても繊細な美しい旋律を作り出す天才だなと思い知らされました。
いかがだったでしょうか?
こんなところにも合唱が?と思うような第6回だったかと思います。
次回はどの曲をご紹介しようか・・・・
これからじっくりと考えたいと思います!
それでは、また次回!
Arrivederci!