※ここで紹介する物語の解釈は、あくまで個人的な見解です。こんな考え方もあるのか!という風にお楽しみください。
私たちは、プッチーニ『蝶々夫人』に描かれる「日本像」をめぐって、「オリエンタリズム」という視点から考察しました。物語の転換点となるのが、蝶々夫人の前に現れたピンカートン、それも、アメリカ人の妻を連れてきた彼の姿でした。そこで、蝶々さんは選択を迫られます。今回は、蝶々さんの選択を、ヴィルヘルム・ヘーゲルの「弁証法」という思考法を手掛かりに考察します。
1、蝶々さんの選択
改めて、『蝶々夫人』のあらすじをおさらいしておきましょう。19世紀末、アメリカ海軍の士官ピンカートンは、駐屯先の長崎で、芸者の少女であった蝶々さんと結婚します。この結婚を、永遠のものであると信じる蝶々さん。しかし実際は、いわゆる「現地妻」であり、ピンカートンにとっては一時の関係に過ぎませんでした。子どもも生まれ、アメリカに戻ったピンカートンが、また長崎に帰ってくる日を待つ蝶々さん。蝶々さんは、ピンカートンのために、キリスト教への改宗までしている。しかし、帰って来たピンカートンにはアメリカ人の妻があり、子どもを引き取ってアメリカで育てると言う。蝶々夫人はひとり、刀で自死することを選ぶ。
物語の結末、蝶々さんは自死という道を選びました。当然、苦悩の末の決断であった。そのとき、蝶々さんには、どのような選択が残されていたのでしょうか。
2、ヘーゲルの弁証法
ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1830)は、「弁証法」と呼ばれる思考法を提示しました。簡単にまとめると、以下のようになります。私たちは、ある命題(テーゼ)を持っている。そこに、その命題に対抗する反対の命題(アンチテーゼ)が現れる。そのとき私たちは、相反する二つの命題をたたかわせることで、新しい命題(ジンテーゼ)を獲得する。具体例で考えてみましょう。例えば、私たちは「リンゴは赤い」という命題を持っているとします。ところが、赤いリンゴしか知らない私たちの前に、青リンゴが現れた。つまり、これは「リンゴは青い」という命題です。すると私たちは困ってしまいます。いままでリンゴは赤いと思っていたのに、いま目の前に青いリンゴがある……。この事実を受け入れるためには、この事態を表現する「新しい命題」を考えなければなりません。そこで私たちは、古い「リンゴは赤い」という命題を捨てて、「リンゴには、赤いものだけでなく、青いものもある」という新しい命題を獲得するのです。二つの対立する命題を乗り越えて、まったく新しい命題を手に入れる。これが、ヘーゲルの弁証法です。
3、蝶々さんの命題
弁証法を、蝶々さんの選択に当てはめてみましょう。蝶々さんはピンカートンと結婚し、彼の帰りを待っていた。このとき、蝶々さんは「私とピンカートンは夫婦である」という命題を持っていたとしましょう。しかし、帰国したピンカートンによって、対立する命題が与えられた。「ピンカートンにはアメリカ人の妻がいる」。そこで、蝶々さんは、二つの命題を乗り越える道を見つけなければなりませんでした。先にリンゴの例で確認しましたが、重要なことは、新しい命題の獲得の際、古い命題は捨てなければならないということです。つまり、弁証法に従えば、最初の「私とピンカートンは夫婦である」という命題を素朴に維持することはもはやできません。考えられる選択肢を挙げれば、「私はもはやピンカートンの妻ではない」、「私こそが本妻である」のどちらか、あるいは、「私は現地妻であった」ということを認める、などが考えられます。ほんとうのところ、蝶々さんの心境がどうであったのかはわかりません。しかし、新しい命題を受け入れて、これからの人生を生きていくことは、彼女にはできなかった。そして、彼女は名誉の内に死ぬことを選ぶのです。
4、弁証法の盲点
弁証法の背後には、ある思想が前提されています。それは、弁証法によって、事柄は良い方向へと向かっていく、上昇していく、というものです。しかし、それは本当でしょうか。私たちは、弁証法において、古い命題を捨てることを求められます。それまでの自分の考え、自分が知っていたこと、自分が大切にしていたことを、捨てなければならない。それは簡単なことではありません。おそらく私たちは、それほど簡単に、自分を新しい姿へと変えることはできないのです。むしろ、いままでの自分のあり方を何とか維持できないか、そのように考えるかもしれない。その意味で、弁証法は、「精神的な強さ」を私たちに要求してしまう。自分が変わっていくこと、古い自分を捨て去ることを、「良いもの」として私たちに押し付けてくるのです。実際のところ、私たちの生活が弁証法的にはうまくいかないということがわかってきた時代、それが現代です。むしろ、変わることのできない自分を、どう受け入れるか。そして、変わることのできない自分を肯定しながら、対立する命題に、どのようにアプローチしていくか。私たちがいま問われているのは、「強さ」の問題ではなく、「弱さ」の問題なのかもしれません。
参考文献:
貫成人、『図解雑学 哲学』(ナツメ社、2020年)。